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 今年は暖冬と聞き雪かきが楽だと期待しておりましたが、現実は無残にも打ち砕かれました。例年よりも早く雪が積もり、豪雪の感がするほどです。皆様も防寒対策は念入りになさり、体調管理には十分お気を付け下さいませ。
 さて、来る2月11日、建国記念日は、節分会でございます。ちまたでは、3日におこなう行事として広く知られております。当院は、建国記念日の11日に行っております。毎年多くの方々にご参拝いただいており、今年も大いに賑わいがあるように精進いたしたいと思います。
 厄払いは、必要ないと思う方もおられるでしょう。たしかに、厄払いせずに一年何事もなく、過ごす人もいます。ですが、考えてみてください。人の一生ははかないものといわれますが、実に長いのもの、また事実です。いつ何時災難に出くわすとも限らないのが人生です。それが、人災であるか、天災であるかわからないのです。「あの時やっておけば」と思うこともあることでしょう。
 厄払いの起源は、先人たちの経験がもとになっております。先人の失敗した経験や回数が統計として集計れたものですから、何万、何千、何億・・・・といった、現代人の比ではない経験値がエッセンスとして凝縮されているのです。その経験をうまく活かしきるのが、現代人の責任ある行動であり、これからの後の人に経験として教えてあげることだと思うのです。
 よく聞く話ですが、成功者からサクセスストーリを学ぶのではなく、失敗した者から失敗談を聞き学ぶことの大事さが重要であるということになります。経験は自分が人生を歩む上で、もっとも頼りになる道しるべであり、近道です。
 厄払いも同じです。先人が経験した「厄年」という何か良くない歳があることを突き詰めたのです。何らかの悪い影響を与え、それが、何歳のときであったという経験にもとづくものであるから、活用しないてはないと思うのです。
 最後に、「笑う門には福来る」といわれるとおり、豆まきをしている人は、みな笑顔です。そのような所に、悪魔が寄り付くとは考えにくいと思います。楽しいことは幸福を意味することと同じです。ですから厄年の人は、豆を自分の厄だと思い、まき。ひろう人は、福豆としてありがたく、頂くのです。これが「七難即滅七福即生」といわれることと同と考えるのです。
 すなわち、厄が地に着いた瞬間に、福として難を転ずることを意味しています。また、苦しいときだからこそ、他の人のために施すという良い行いが、結果的に自分の厄を払うことににつながるのです。
 だまされたとおもって一度なさってみてはいかがでしょうか。何か違いがあると思いますし、善くなるようご祈願いたします。2月11日午前11時から、当院本堂でとりおこないます。厄払いご希望お方は、事前に予約が必要です。お問い合わせください。℡017-738-2439

                                          合掌